名古屋高等裁判所 昭和41年(う)264号 判決 1966年12月20日
主文
原判決を破棄する。
被告人を罰金一万円に処する。
右罰金を完納することができないときは、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。
訴訟費用は被告人の負担とする。
理由
本件控訴の趣意並びにこれに対する答弁は、岡崎区検察庁上席検察官検事得津良之助名義の控訴趣意書並びに弁護人山本卓也名義の答弁書にそれぞれ記載されているとおりであるから、ここに、いずれもこれを引用する。
論旨一について。
所論は、要するに、原判決は、被告人が時速約二〇粁で本件交差点に進入したことにつき注意義務違反があったとすることはできないと判示しているが、これは、事実を誤認し、業務上必要な注意義務の解釈を誤ったものであるというのである。
所論にかんがみ、本件記録を仔細に調査し、当審における事実調べの結果をも参酌して検討を遂げるに、原判決が、(証拠によって認定した事実)として摘示するところ(原判決書二枚目表末行から五枚目表一〇行目まで)は、その挙示にかかる各証拠により、おおむねこれを肯認し得るのであるが、右各証拠によれば、更に、(一)本件交差点の四つかどは、それぞれ角切りが施されていて、側方道路への見とおしをいくぶん助けているとはいうものの、南方道路中央線辺りを進行するかぎり、交差点中心より手前一〇・三五米の地点において、東方道路中央部の交差点中心より一〇・三五米東方までの東方道路上の見とおしが可能であるに止まり、自動車を運転して進行する道路の見とおし状況としては、両道路ともきわめて不十分であること、(二)本件交差点の南北道路、東西道路は、ともに夜間といえども交通量が多く、殊に東西道路は、これを利用する車両等が多く、南北道路以上に交通が頻繁な状況であったこと、(三)従来、本件交差点においては、東西道路を進行する車両等であって、該道路上に存する一時停止の標識の指示に従わないで、交差点に進入して来るものが相当数に上り、右指示による一時停止は、必ずしも励行されていない状況であったこと、(四)被告人はタクシーの運転者として、自動車を運転してたびたび本件交差点を通行していたものであって、右(二)及び(三)に記載したような本件交差点における交通の実情を熟知していたことをもそれぞれ認定することができる。そして、以上(一)ないし(四)において認定した事実もまた、本件の具体的状況の一部を構成するものとして、本件事故に対する被告人の過失の有無を判定するに当り、考慮に容れるべき事柄に属することは明らかである。
そこで、前記原判決が(証拠によって認定した事実)と当審の認定した右(一)ないし(四)の事実とを前提として、本件衝突事故発生につき、被告人の過失の有無を考察するに、被告人は、昭和三九年九月一一日午後一〇時三〇分頃、普通乗用自動車を運転して、南北道路を時速四〇粁で北進し、本件交差点にさしかかったのであるが、同交差点は、四つかどに建っている人家のため、東西、南北のいずれの道路から見ても、左右の見とおしがきかない状況にあり、かつ、夜間でも相当の交通量があるのに、交通整理は行なわれていず、東西道路の交差点の東西には、その手前の左側路端に、公安委員会による「一時停止」を表示する規制標識が立てられていたものの、右標識の指示に従わないで進行する車両等も少くない実情であって、右各道路を進行する車両等が、右交差点内において、いわゆる出会いがしらの衝突等の事故をひき起す危険があったのであるから、このような場合、南方道路から北進して本件交差点を直進通過しようとする自動車運転者としては、左右道路から交差点に進入して来る車両等の有無を確かめ、危険を感じた場合には直ちに停止することができる程度に、あらかじめ十分に徐行して交差点に進入し、以って事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があること当然である。そして、本件交差点が幅員各七・三米の道路が交わるさして広くない市街地の十字路であること、十字路の四つかどには人家が建ち、角切りがなされてはいるものの、いずれの道路からも、左右の見とおしはきわめて不十分であって、あらかじめ左右の安全確認が十分になし得ないこと、夜間でも交通量が多いうえに、東西道路上に存する一時停止の標識の指示に従わないで、右道路から交差点に進入して来る車両等が相当数に上る実情であったことなど諸般の状況を参酌すれば、本件において右徐行義務を尽くしたと言い得るためには、少くとも時速一〇粁以下で進行することを要するものと認められる。しかるに、被告人は、右時速を約一〇粁も超える時速約二〇粁で本件交差点に進入したのであるから、被告人に右徐行義務違反の過失があったことは明白であるといわなければならない。
原決定は、本件交差点の東西道路に一時停止の指定がなされていたことを重視し、「右指定をなされた道路と交差する他の道路の車両は、具体的にさしせまった危険な状況が現存するか、又はこれを予見せられない以上、右指定をなされた道路の車両の適正な行動に信頼して、その注意を十分にして運転すれば足りるものというべきであって、それが交差点であるかぎりは徐行の義務が免除されないとしても、その徐行の程度には自ら限度があり、一般的抽象的に、必ず一時停止、何時でも停止できるような最大限度の徐行が必要だと考えるべきではない」と判示し、本件においては、被告人の本件交差点進入前、具体的にさしせまった危険を予見することは不可能であったと認定したうえ、被告人が時速約二〇粁で交差点に進入したことを以って、徐行義務に違反したものということはできない、という。
しかし、本件交差点における道路交通の実情は、さきに詳細説示したとおりであって、一時停止の指定をなされた東西道路は、南北道路以上に交通が頻繁であるうえに、右指定に従わないで交差点に進入して来る車両等も相当数に上る状況であったのであるから、右指定がなされた東西道路の車両等の適正な行動は、必ずしも期待し難く、従ってこれを過信して、具体的にさしせまった危険が現存するか、又はこれを予見することができないかぎり、南北道路の車両等が交差点に進入前、あらかじめ十分に徐行することを要しないものとすれば、交差点内において、いわゆる出会いがしらの衝突等の事故発生の危険が増大することは、きわめて明らかであり、右危険は、多くの場合、原判決のいうように具体的にさしせまった状況が現存し、又はこれを予見し得る段階になってから初めて、これを回避する措置を講じようとしても、とうてい間に合わないものである。道路交通法が車両等に対し、本件交差点のごとき交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかないもの、その他一定の場所について、具体的にさしせまった危険の予見が可能であったかどうかにかかわりなく、徐行を要求している(同法四二条参照)のも、これらの場所が、一般に交通の危険が十分に予想される箇所であり、かかる箇所では、あらかじめ、車両等をして直ちに停車することができるような速度で進行、すなわち徐行(同法二条二〇号参照)させ、以って危険の発生を未然に防止しようとする目的に出たものに他ならない。それ故、被告人は、本件交差点に進入前、あらかじめ十分に徐行して、予想される出会いがしらの衝突等の危険を未然に防止すべき、自動車運転者として当然の業務上の注意義務があったものというべきであり、本件交差点における前示のごとき道路交通の実情に照らせば、東西道路に一時停止の指定がなされていたという一事により、直ちに、右徐行の程度を原判決説示のように、ゆるやかに解することは相当でないといわなければならない。また、原判決が被告人の徐行義務違反の有無の判断を、具体的にさしせまった危険の予見可能性の有無にかからせたのも、すでに説示したところから明らかなように、誤りであるというべきである。
以上の次第であって、原判決が、被告人が時速約二〇粁で本件交差点に進入したことにつき、被告人に業務上の注意義務違反があったとすることはできないと判示したのは、ひっきょう、本件交差点における道路交通の実情について事実を誤認し、ひいて業務上の注意義務に関する法令の解釈、適用を誤ったものというの他なく、右の誤りが判決に影響を及ぼすことは明白である。論旨は理由があり、原判決は、その余の論旨に対する判断をなすまでもなく、失当としてとうてい破棄を免れない。
よって、その余の論旨に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条、三八〇条に則り、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、被告事件につき更に判決する。
(罪となるべき事実)
被告人は、自動車運転の業務に従事しているものであるが、昭和三九年九月一一日午後一〇時三〇分頃、普通乗用自動車(愛五い一〇二六号)を運転して、岡崎市上六名町木の座五の一番地先道路(県道桜井岡崎線、幅七・三米)を時速約四〇粁で北進し、同番地先の交通整理の行なわれていない交差点にさしかかり、同交差点を直進しようとしたのであるが、同交差点は、右道路とほぼ東西に通ずる幅七・三米の道路(市道明大寺板屋線)とが直交する市街地の十字路で、夜間でも相当の交通量があるのに、十字路四つかどに建っている人家のため、いずれの道路から見ても、左右の見とおしがきかない状況にあって、右各道路を進行する自動車等が右交差点内において、いわゆる出会いがしらの衝突等の事故を惹起する危険があったのであるから、このような場合、自動車運転者としては、左右道路から交差点に進入して来る自動車等の有無を確かめ、危険を感じた場合には直ちに停車できる程度にあらかじめ十分に徐行して交差点に進入し、以って事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるにも拘らず、これを怠り、左右道路から右交差点に向って進行する自動車等はないものと軽信し、交差点手前で前照灯で切替え、時速を約二〇粁に減速したのみで、十分に徐行しないで進行した過失により、折柄右側道路から交差点に向い進行して来た山本幸夫(昭和二年九月一〇日生)運転の普通乗用自動車を右斜め前方約七、八米に発見し、急停車の措置をとったが及ばず、自車右前部を右自動車前部に衝突させ、その衝撃により右山本に対し、全治約二か月間を要する右膝部挫傷等の傷害を負わせたものである。
(証拠の標目)≪省略≫
(法令の適用)
被告人の判示所為は、刑法二一一条前段、罰金等臨時措置法二条一項、三条一項一号に該当するから、所定刑中罰金刑を選択し、その金額の範囲内で、被告人を罰金一万円に処し、右罰金を完納することができないときは、刑法一八条に則り、金五〇〇円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置することとし、訴訟費用は、刑訴法一八一条一項本文により、被告人にこれを負担させることとする。
よって、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 高橋嘉平 裁判官 小淵連 村上悦雄)